アティチュードが変われば対人援助の実践は必ず変わります

「アティチュード」とは?

自分の悩み事を誰かに相談したい時、「この人には相談したい/相談したくない」と、相手を選ぶことがありますよね。「この人は怒りそう/理解してくれなさそう」だと感じる相手には、相談はしたくないものです。

相談する側が「この人は怒りそう/理解してくれなさそう」だと感じるのはなぜなのか?

逆に、多くの人から相談を受けていつも頼りにされる人というのもいます。

その差をたどっていくと、そこに(相談を受ける側の)「アティチュード(態度)」が関わっています。

※アティチュード(attitude)は、「態度」を意味する英単語です


性の相談に乗るために学ぶものとして、

知識:例えば「HIV/AIDSの最新情報」のようなもの

技術:例えば「電話相談 咄嗟の切り返しの一言」のようなもの

がイメージしやすいですが、その土台となるのがアティチュードです。

性の健康イニシアチブでは、アティチュードを「価値観に裏打ちされた態度」と説明しています。援助者の中の価値観が振舞い方となって表れたものがアティチュードだという意味です。

例えば、どんなに中絶についての知識や情報を学び、どんなに中絶のケアのための技術を身に着けても、「中絶は悪だ」という価値観が援助者の中にあれば、中絶した人に否定的な態度で接することになります。そういう態度が「この人は怒りそう/理解してくれなさそう」だと相手に感じさせる原因になります。


<よくある質問>

(1)技術とアティチュードの違いが分かりません

例えば相談者の相談を聞く場面を例にします。

アティチュード(価値観に裏打ちされた態度)
・「相手の心理的安全性を奪わないことが良いこと」という価値観を持っている
・こういう価値観を持って相手と接すると、それが相手に自然と伝わるような振舞いになっていく(これが態度)

技術
・相手の心理的安全性を奪わない=相手に「心理的安全性を奪われている」と感じさせない技術
 例. 言葉選び「なぜそうなんですか?」⇒「そう思う理由はなんでしたっけ?」

アティチュードを磨く

現象学という哲学の考え方に「間身体性(かんしんたいせい)」というものがあります。物理的に身体と身体が同じ空間に居合わせる時、言葉にしていない、意識もしていないことでも、相手に伝え合っている、という考え方です。

相手から「応援しているから頑張ってね!」と言われているのに、「この人、きっと口でそう言っているだけで応援する気なんてないんだろうな」と何となく感じる、というような経験をしたことがある方もいると思います。これは「応援する気がない」という本音が「間身体性」の働きによって伝わってくるからです。

対人援助の現場も多くの場合、物理的に身体と身体が同じ空間に居合わせています。援助者が「中絶は悪だ」と思っていれば、その価値観は何となく態度に出て、支援を受ける相手に伝わるものです。だから、対人援助者にとって、自分の価値観を振り返ることは大事なのです。

ここで断っておきたいのは、「中絶は悪だ」という価値観を持つこと自体を否定しているわけではありません。援助者にも内心の自由はあるのですから。ただ、その価値観を自分が抱えていることに自覚的でないことは不都合なことがあります。自分の中にある価値観を振り返っておく、その価値観がどこから来ているのかを理解しておく、ということが大事で、それがアティチュードのトレーニングの大事な柱の1つです。

性の健康イニシアチブが推奨する3つのアティチュード

  1. ノンジャッジメンタル

援助者が勝手にジャッジしない(決めつけない)という態度のことです。

性の健康を突き詰めていくと、「何が幸せか、何が正解かは、その人にしか分からない」というところにたどり着きます。絶対の正解があるわけではなく、その人にとっての正解があるだけだということです。

だから、援助者はAだと思っても、援助を受ける側がBだと思えば、Bが正解となります。B目掛けて援助を進めればいいのです。それが相手の価値観を尊重した援助行動というものです。


<よくある質問>

(1)自分の価値観と相手の価値観が異なっている場合、どうすればいいか

例えば、援助者である自分は「結婚は人生の宝物。絶対したほうがいい」と思っている一方、相談者は「自分は結婚とかはしたくない」と言っているという場合などがこれに当たります。

相談者の援助においては「結婚したくない」を正解として考えます。援助者が「結婚は人生の宝物。絶対したほうがいい」と考えるなら、援助者自身の人生を最高のものにするために、援助者が結婚すればいいのです。

(2)相談者が、科学的に誤っている知識を前提とした意思決定をしている場合にも、相談者の考えを尊重するべきか

その場合はまず、相談者に「科学的に根拠のある知識」を伝えてみるといいでしょう。知識を伝えたことで、相談者が物事の理解を変え、意思決定を変えることもあります。科学的に根拠のある知識を伝えることは、専門家である援助者の大事な仕事だと言えます。

この時に「こんなことも知らないの?」「あなたは間違っている」といった否定的な態度で接すると、相談者との信頼関係を損ねることもあるので、「ちなみに、私が知っている話だと、こういう知見もあるようです」という伝え方をしてみると効果的かもしれません。相手の理解を否定して上書きするのではなく、相手が知っていることとは別のことを追加するような伝え方です。

(3)「その人にとっての正解」が好ましくないものだと感じられる場合、どうすればいいか

「好ましく感じる/好ましくないと感じる」という言葉自体がジャッジメンタルな言葉遣いなので、援助者であるあなたによるジャッジメントが入っている可能性があります。

ただし、誰かの尊厳や権利、主権を侵害するものは、いつどのような場面でも容認されません。仮に、相談者が自分のために誰かの尊厳や権利、主権を侵害すること(例えば「相手から物を盗んで自分の欲求を満たしたい」など)を考えているのであれば、それは本当に好ましくないことなので、はっきりとNOという必要があります。「私もOK、あなたもOK」の原則に反するからです。
(※「私もOK、あなたもOK」についてはまた別の機会に解説します)

2. 主体者は相談者であることを忘れない

その人の人生の主導権はその人のものです。誰しも、人生の主導権を他人に渡してはいけませんし、他人の人生の主導権を奪ってもいけません。

援助者の仕事は、相談者がその人生の主体者として生きていくためにサポートすることです。5%くらいのことをサポートすれば残りは自分ですべてできる人も、60%くらいのことをサポートしてはじめて残りを自分でできる人もいます。後者の場合、「60%もサポートしないといけない」のではなく、「60%サポートすれば、主体的に生きていける」のです。相談者本人がどうしたいのかをきちんと聞いて、その人生の主人公としての本人の意向に基づいて、一緒に考えて支えるという姿勢が重要です。

援助者はどこまでいっても相談者に成り代わることはできないし、相談者の人生の責任を取ることもできません。「援助者の限界性」を自覚することが重要です。

3. 科学的根拠のある情報を扱う

科学的であるとは、再現性があること。何回やっても、他の人がやっても、同様の結果が得られることを指します。

科学的には否定されていることや効果のないことを前提とした援助活動は、時に害悪となるため、きちんと説明できることをすることが重要です。

ただ一方で、人間を相手にしている以上、科学的なことだけを過度に尊重すると逆効果になることもあります。

例えば、「ワクチンは害の塊である」という言説は非科学的な誤認です(もちろん、それを信じる自由は万人にあり、信じることは自由です。ただ、「ワクチンは害の塊である」という言説を前提に援助活動を進めることは、ここでいう「科学的根拠のある情報を扱う」には該当しません)。

少なくとも今は、科学的には「ワクチンは個人を感染から守ること+社会的に感染を抑制することのふたつの意義がある」と言われています。これを前提にすることは「科学的根拠のある情報を扱う」ことですが、「だから打たなきゃダメ!」という"正しさ"に固執すると、「ワクチン打つのが怖い」「やっぱりちょっと抵抗がある」という相談者の感情的な余白に寄り添えなくなります。感情的な余白に寄り添ってもらえないと感じると、相談者の安心感は損なわれて、「話を聞いてくれる人」のところに行きます。「話を聞いてくれる人」が必ずしも安全な人とは限らず、詐欺や危険なことに巻き込まれる場合もあります。

相談者から見た安心と安全を両立できる支援が重要です。

「アティチュード」から自由になる

人間はもともとジャッジメンタルな生き物です。自分の目線からしか物事が見えません。自分が持っている価値観を「一番良いもの」「当然のもの」などとついつい思ったりします。でも、自分とは違う価値観を持ち、違うものを良いと思っている人もいます。それが多様性がある世界というもの。

そういう世界で対人援助をしていくのですから、普段から自分の価値観を振り返るトレーニングをし、咄嗟の時に出る振る舞いを良いものにしていくことが重要です。考えながら動くのではなく、考えなくてもそういう振る舞いになっているとなれるのが、アティチュードを磨いた結果ですし、そうなることは自分のアティチュードが今どうなっているかに囚われなくて済むように、自由になることです。

咄嗟の時に出るのは、身体にその振る舞いが染みついているから。「あの人はいつもニコニコ機嫌が良くて、人が周りにいて、色んな相談を受けて頼られている」とみんなに羨ましがられているあの人はきっと、自分の中の価値観を振り返ってポジティブな捉え方をしているから、ニコニコ機嫌のいい態度でいられて、だから人が安心して寄ってくるのだと思います。アティチュードを磨くとそんなことが起こります。アティチュードが変われば対人援助の実践は必ず変わります。